旧東海道行脚(その4)川崎〜生麦~神奈川新町

昨年に引き続き、こどもの日に行脚。筆者の年間行動パターンが伺える。

更新がゆっくりですみません。備忘録としての役割もあってブログ書いてます。

さて、前回は川崎市役所のとおりで終了しましたので同じ所から再開です。

今回はチロ太君犬を連れてくるのを辞めました。理由は生麦事件参考館に行きたかったからです。

歩くとすぐにこんな案内板があります。

前回にも書きましたが、川崎大師は外国人の観光コースでした。

本陣跡もすぐ近くにあります。

川崎宿を大師入口から進んで出口近くになると小土呂という地区になります。

現在はその地名は使われおりませんが、かつては川崎宿を形成する一つの町の名前でした。

川崎宿の京入口(京都側の入口)付近には案内板があります。

この案内板によると川崎宿が外国人遊歩区域になったのは1862年。黒船来航の9年後、横浜港開港の3年後、生麦事件の年です。そして明治維新をわずか6年後に迎えることになるのです。

↑川崎宿京入口。川崎宿はここまで。

川崎宿を出て少しすると八丁畷駅が見てきます。

八丁畷駅の近くには松尾芭蕉句の石碑もあります。

踏切を渡り八丁畷駅(左)と旧東海道(右)。品川から神奈川まで京浜急行と旧東海道はほぼ並んで整備されております。

八丁畷駅を過ぎて直線を暫く歩くと横浜に入り、鶴見市場という地名に入ります。

写真は熊野神社の変形交差点。地元の方は抜け道として使っている交差点です。

立派な神社ですね。

日本橋を出発して5番目の一里塚に来ました。

この市場村一里塚を見ると私が研究している外国人遊歩規程測量(明治9年~明治10年)が実施された年の明治9年に地租改正が行われいる事が書かれています。

地租改正は明治政府が租税制度改革によって税収を安定させるために行った事業(明治7年~明治13年)で地域によって完了した年は違いますが、現在の不動産登記簿の基礎となっているものであり、地租改正によって筆界(公法上の境界)が原始的に創設されました。我々、土地家屋調査士はこの筆界を原始筆界と呼んでいます。

ゴホン・・・。ガラにもなく少し難しい話をしましたね。

気を取り直して先に進みましょう。

橋が見えて来ました。鶴見川です。

鶴見川は横浜で一番の大河じゃないですかね。浮世絵にも描かれています。

案内板に書かれている「よねまんじゅう」は鶴見名物です。

後で買おーっと♪

橋を渡ると関門跡の案内板があります。

外国人との接触には充分に気を使っていた事がわかります。

京急鶴見駅が見えてきました。

ガード下をくぐり清月さんで「よねまんじゅう」を買います。

http://seigetu.nl.shopserve.jp/(まんじゅうを見たい方はクリック)

駅を過ぎて生麦に向かいます。

鶴見は宿場町ではないけど、現在は賑わってますね。昔は立場茶屋もあったのでしょう。

少し歩くと第一京浜(国道15号線)の下野谷の交差点に出ます。

旧東海道はそのまま第一京浜を渡り直進します。

生麦の魚河岸通りが見えてきました。(上はJR鶴見線)

ちょっとそのまま道を左にそれると鶴見川河口付近です。

川と言ってもここはほぼ海です。昔から漁が行われきました。

旧東海道に戻ると鮮魚店がちらほら。

生麦に入ったけど、生麦事件碑は確か先のキリンビール工場付近だよな。

直線が続き、首都高が見えてきました。

あった!キリンの工場。

あれ事件碑は??

まあ、いいか。今回の目的は私設生麦事件参考館に行く事でした。

ということでちょっと脇道に入って目的地に到着!!

生麦事件参考館は浅海さんが私財を投じて開設された素晴らしい資料館です!!

私設館であり、公共施設の博物館等と違って私の心を掻き立てたのは、浅海先生ご自身が生麦事件を研究して、ご自身の研究に基づいて演説している、展示しているところでした。

当然、私の研究なんかとは異次元の研究をなされており、参考にさせて頂くものが多くありました。記念に浅海先生と写真を一枚。

展示室ではビデオも上映してくれて、生麦事件の様子が鮮明にわかりました。これ以上はない研究だと感銘をうけました。

ビデオの中で先生が関口日記を参考にされたことを知り、私は外国人遊歩規程測量の研究をしている事をお話しして2階の倉庫も見せてもらいました。

関口日記は、現在発行されていない書籍ですが図書館に行けばあるかもしれません。

日記は、生麦村の名主関口家が1762年から1901年までを日々の出来事を書き留めたものであり、大変興味深いものでありました。地租改正についても詳しく書かれているかもしれません。

その他多くの収穫はありましたが、ブログに纏めれないのでこの辺にしておきます。

浅海先生の生麦事件参考館をあとにして、再度生麦の旧東海道に戻ります。

すると魚河岸通りの鮮魚店を過ぎるとあるではありませんか!生麦事件発生現場が!!

マジか。ここでリチャードソンは奈良原喜左衛門に斬りつけられたのか・・・。

ここから馬を返して画面奥の方へ逃げていったのか。

そして現在のキリンビールレストラン入口で絶命した。(工事して改築されたようで最初はこの碑がわかりませんでした。)

事件発生現場から約800mの場所です。斬りつけられてからこんなに距離があったなんて知りませんでした。これを歩いて実感することが出来ました!

生麦事件関連は是非、再訪したい所です。ついでにキリンビールもいいかも

生麦事件碑から第一京浜と旧東海道は一緒になります。暫く刺激のない車の騒音だけが響く道のりを歩きます。

左に車が走っている首都高の向こう側は海岸線でした。

昔はさぞいい景色だったんだろうな~

オランダ領事館跡に来ました。神奈川宿の江戸側見附です。

神奈川宿の入口になります。

そして、日が沈みはじめたので今日はここまで。

右に入って神奈川新町駅。お疲れ様でした。

(その1)日本橋〜青物横丁
(その2)青物横丁〜蒲田
(その3)蒲田〜川崎
(その5)神奈川新町~戸塚 1/2
(その5)神奈川新町~戸塚 2/2
(その6)戸塚~茅ヶ崎
(その7)茅ヶ崎~二宮
(その8)1/2 二宮~入生田
(その8)2/2 二宮~入生田