旧東海道行脚(その8)2/2 二宮~入生田
前回は60号点、法船寺付近で終了しました。
明治9年の実測図だと60号点から直ぐに酒匂川が載っております。
現在は下矢印のとおり。マクドナルドは昔の堤防あたりでしょうか。
ヨークマート、松屋の土地は昔酒匂川の中だと思います。
現在はの酒匂川の河川敷幅はかなり狭くなっているものと思われます。
ヨークマート、松屋を過ぎると酒匂川の渡しの石碑があります。
現在の河川敷はここからになっております。
箱根連山が良く見えます。
ここ酒匂川を渡ると暫くして小田原宿となります。
広重の小田原宿も酒匂川を書いております。
小田原宿の建物が遠くに描かれております。川崎宿の六郷川(多摩川)もそうだったが、広重が絵に残すということは、大河は旅人にとってかなりの難所であることがわかりますね。
橋を渡ると、そこは旧道ではありません。現在の橋と酒匂川の渡しの位置は違います。
橋を渡って脇道をそれて旧道に向かいました。
天下の東海道とは思えない平凡な街並みです。
でも神社はやっぱりあるんですね。
神社より道は折れて南下すると新道にぶつかります。小田原東高校前です。(前はビジネス高校という名だった。)
旧道はこのまま新道を跨いで突き抜けていき、右折するとまた新道と合流します。
暫く歩くと山王小学校前に上杉龍若丸の墓があります。
関東管領の上杉憲政(上杉謙信の養父)の長子・龍若丸は北条氏康に処刑されました。
向いには戎神社
そして山王川が流れる山王橋へ。
ここは1590年の小田原城攻防戦で一番戦闘が激しかった篠曲輪(ささくるわ)跡地です。小田原城の城郭はどこまであったのか解明されていないと聞きますが、ここまで城郭があるだけで充分大きい城だったことがわかります。小田原市街地丸ごと小田原城のイメージですね。
相当な大きさで難攻不落で籠城されたら勝てないと言われたのがよくわかります。籠城して城郭の中で充分生活ができますね。
軍神・上杉謙信も落とすことが出来なかった小田原城偉大です。
ここ篠曲輪跡地にある山王神社で小休止。筆者はトイレをかなりガマンしてた。
外のトイレお借りしましたお願いありがとうございます。
水準点もありました。
そして旧地図も掲示してあり、酒匂川と山王川に挟まれて山王村があったことが記されています。
山王神社をあとにして再出発!チロ太歩くよ!
小田原城の看板が見えてきました。ってここの土地は元小田原城内なんですけどね。
といっても一般的には城といったら、天守閣を指すのでしょうね。
城と言えば郭、曲輪なんだけどね。
小田原宿に入りました。といっても見附跡は歩道橋のあたりですので、正式にはここは小田原宿ではありません。
ここから小田原宿。
↑この外側の土塁を見ても相当でかい小田原城。小田原宿は城の土塁遺構を利用して出入口が管理されていました。
↓同じ地点の南側には日本橋から20里地点である一里塚もありました。
小田原宿は城下町とあって、相当な賑わいを見せたことが規模から想像できます。
どこの宿場町もそうだけど、それぞれ地名が付いております。
先ずは1.新宿町。
旧東海道は新宿町から左折します。新道は現在の小田原駅に近いところを通っています。
鉄道が出来ると宿場町と駅が競合して、駅に賑わいを取られていきますが、宿場町には昔を思わせる何かが残っていたりします。
左折すると歩道と民地の間にはきれいな縁石が並んでおりました。
これ伊豆石ですね。さすが小田原!産地ががすく隣なので材料が豊富にあるのでしょう。(伊豆石については青文字をタップして下さい)
写真だとわかりづらいですが、味がありますね伊豆石は。
奥で車が右折しています。旧東海道は前の車のとおり右折します。
ここが枡形になっているという事ですね。
枡形は藤沢宿を過ぎたあたりでも書きましたが、この後もあるのでそちらをご案内します。
ココ枡形の場は2.鍋町。
右折するとバー―ンとかまぼこやが目に入りました。
練り物大好きな筆者は・・・チロ太食ってくか!
創業明治11年「やまじょう」さんのさつま揚げ頂きました。(遊歩規程測量と同じ時期に創業されたのですね。)
チロ太がガマン出来ずによだれを付けてくるから、写真撮り忘れましたワ。
お店の方が椅子まで出してくれたのにそれも撮り忘れましたワ。
ごめんなさいお願いあまりにも美味しくてチロ太に取られまいと筆者は必死でしたのでお許し下さい。
やまじょうさんで小腹を満たした練り物大好き一行は再び旧東海道を歩きました。
すると脇道には昭和を思わせるチョークの落書きが・・・
いいね!昔よく書いたな。
落書きの町3.万町。
問屋場跡。ここは小田原宿は色々な商人が住んでいたんだろうな~
4.高梨町
ちょっと商店街ぽくなりはじめた?
5.宮前町。奥に見える信号が新道との合流地点かな。
新道との合流地点に「なりわい交流館」があります。
ここでマンホールカードをもらいました。
そして管理人さんにかまぼこの美味しいところはどこか聞くと「山上」さんと言っておりました。
お~さっき食べましたよ!
そして、自然薯棒なるものも教えてくれました。
↑特に集めているわけではないけど、出掛けた先であったら貰ってくる感じです。
このマンホール、カラーじゃないやつだけどチロ太と見たね。
よく見ると欲張りな・・・富士山、箱根、小田原城、酒匂川。
富士山見えるところ少ないでしょ。富士山いらなかたんじゃ・・・。
このマンホールカード全国に色々なデザインがあります。
私はまだ20枚しかないけど、広島の呉のマンホールは戦艦大和でインパクトがありましたね。
なりわい交流館の裏路地を入ると「うろこき」さんにじねんじょ棒の看板が。
創業天明元年びっくり1781年ですよ!創業240年!!小田原宿では一番古いかまぼこのお店だそうです。
自然薯棒。美味しく頂きました。お酒があるとなおウマいと思う。
なりわい交流館に戻り旧東海道行脚を再開すると本陣跡がありました。
この薬屋さんは創業寛永10年(1633年)ですよポーン関ケ原の合戦が1600年。
そこから僅か33年後に開業してます。さすが歴史の町小田原
今度は違う本陣跡。大きな宿場町には複数の本陣がありました。
報徳(二宮金次郎)広場!?こんなところあるんだ・・・。電車とのコンセプトはわからないけど、今度はゆっくり寄ってみたい。
6.筋違橋町。途中、他にも町があったような・・・??まあ、いいか。
御組長屋?町名ではない。御組長屋は鉄砲隊や弓隊の者が住んでいた場所だそうです。
鉄砲隊や弓隊は攻めてくる敵に対して、枡形などで足止めをして、そこを狙い撃ちにする役割でした。
ということは宿場町の出口が近いということです。
はい。やっぱり宿場町の京側見附の板橋見附に来ました。
旧東海道は右折します。
ここが京見附であり、枡形なっているところです。明治9年の実測図にも記載されています。
ここの場所の枡形は勢いよく突っ込んで来れない敵兵を右折させることによって、流れを悪くさせて鉄砲や弓で狙撃する役割をもっていた。
要所には、このような枡形が各地で作られている。
小田原宿を出ると板橋です。小田原の板橋には立派な建物が残っている。
板橋地蔵尊。
板橋を抜けると新道と合流し、右には箱根登山鉄道。遠くには箱根山が見える。
小田原厚木道路の高架下を潜ると新道は左。旧道は右へと別れる。
右折して踏切渡ったらロマンスカーが来たキラキラそうだ今日は、歴史浪漫を満喫したのでロマンスカーで帰ろう!
ところでロマンスはわかるがカーって!?電車だよね??
昔、調べたことがあります。CARって車両という意味もあるらしいです。
浪漫車両で帰ることに決定~♪
風祭に近づいてきました。表札は秋山姓ばかり、小田原というと北条氏ですが、お抱え忍者で風魔小太郎という人物がいたと言われています。
筆者は忍者学会にもお邪魔させてもらったが、風祭は忍者に関係する土地かもしれないとのことであった。
風魔→風間→かざま→かざまつり→風祭と変化したかもしれない。
忍者の子孫は全国にちらほらと居るが素性は明かさないよう教育を受けている。
北条氏は敗軍であり、その忍者であれば素性をさらに隠す必要がある。
ここ風祭には風魔一族がいるのでは?秋山姓は忍者の一族ではないかと思ってしまうのは私だけであろうか。
そう言えば、土地家屋調査士業である筆者は、業務上で塀の上を歩いたり飛び越えたりで弁護士さんに忍者みたいですね。と言われたことがある。
千葉県土地家屋調査士会某会長もここ周辺の出身とのことなんです。
風祭は近代化は進んでいるものの町の雰囲気は昔を思わせる。
この石積みも伊豆石を使っており、城壁の角を思わせるように精工に積み上げられている!
風祭の一里塚跡がありました。
チロ太よ歩け!
うわピンボケしてる。
長興山紹太寺の入口です。ちょっと外れて行ってみたいと思います。
ここ長興山紹太寺には小田原藩主稲葉正則一族の墓所があります。
墓所はちょっと先にあるみたい。
この階段を登ると墓所か・・・。
この階段を登ると墓所か・・・・・・・・。
そんなことを3,4度繰り返しました。キツ~っ!登って後悔。。。。
これ徒歩はキツイです!!
チロ太は自然大好きなので大喜びで登って行きましたが
やっと墓所に到着。稲葉一族の墓所。
左から正則(春日局の孫)、正勝正室、正勝(春日局の子)、春日局(徳川家光の乳母)
正則以外の墓は供養塔と言われています。
それにしても疲れた~
下山するかと、振り返ると良い景色ではあーりませんか!
なんか大河ドラマに出てきそうな風景
相模灘も良く見えます。プチご褒美頂きました。
旧東海道に戻り入生田公民館まで来ました。
入生田駅はもう直ぐか?
通り過ぎてしまいました笑 看板ちっちゃ!
通り過ぎたので右に曲がったところが入生田駅です。
入生田駅は箱根湯本駅の1つ手前なので、ロマンスカーで帰るなら、どうせなら湯本駅まで行こう!
左の普通電車に乗って箱根湯本まで来ました。
右のロマンスカーで帰ります。
コロナもあって車内はガラガラ。氷結買って帰宅します。うふふ。
チロ太お疲れさん。
今回の二宮~入生田をリライブに纏めました↓
次回は箱根の山は天下の険に挑みます。
次は足が痛くならないようにサポーターしないと。バイバイ。
(その1)日本橋〜青物横丁
(その2)青物横丁〜蒲田
(その3)蒲田〜川崎
(その4)川崎〜生麦~神奈川新町
(その5)神奈川新町~戸塚 1/2
(その5)神奈川新町~戸塚 2/2
(その6)戸塚~茅ヶ崎
(その7)茅ヶ崎~二宮
(その8)1/2 二宮~入生田