旧東海道行脚(その5)神奈川新町~戸塚 2/2

境木を過ぎると下り坂になります。まずは焼餅坂。

坂を下ると少し上り坂になり一里塚が見えてきます。

市内で唯一原型のまま残っている一里塚だそうです。こんなに近くに歴史建造物があったんだね。


それにしても狭くない?東海道・・・。

現在は市街化が進み道が狭いと感じるが、当時は山道だったのでしょう。大名行列もここでは一列にならざるを得ない。ここで桶狭間の戦いを思い浮かべると奇襲すれば駕籠の大名はイチコロだね。そんなことが想像できる程の状態でこの一里塚は残っています。

今は住宅街だが当時は山道だった!今は街路、昔は山道。自分の脳を洗脳しながら、さらに進むことにした。

イヤイヤ。これが天下の東海道?人がいませんよ。

道路幅4mないじゃん。写真の左セットバックしてるし。当時は一間幅だったのかな?

ここの旧公図が見たくなった今度、法務局に行ったら調べてみようっと♪

旧東海道であっているのか不安になりながら歩いていると案内板がありました。

一安心。でもホント旧東海道?って不安になる道でした。

そして品濃坂へ。この坂はかなりの急坂です。距離が短い分急ですね。牛車は進めたのかな?下が見えないでしょう。現在は階段になっています。

横浜環状2号線の歩道橋を渡り左へ曲がります。

さっきの山道よりは幅が広くなりました。

暫く歩くと国道1号線にぶつかります。ここまで来ると現道と旧道の交錯が続きます。








交錯を繰り返していると戸塚宿に到着です。江戸方見附跡。

戸塚宿と箱根駅伝のコラボマンホール。  笑

宿場町に入ると恒例の広重の浮世絵と実写真ですが、戸塚宿は柏尾川に架かる大橋の手前に「こめや」そしてかまくら道の石碑が描かれています。上のマンホールはその浮世絵を編集しているものです。

かまくら道の石碑ですが現在でも妙秀寺に現存しております。

階段を上り境内に入るとありました!「かまくらみち」の石碑グッ

妙秀寺から東海道に戻ると、トンビがいましたびっくり

最初は置物かと思ったけど、羽を広げたのでホンモノ!!

東海道に戻ると直ぐに一里塚跡があります。

先には柏尾川が見えて来ました。例の戸塚宿の広重の浮世絵の場所です。

紺色の石碑には「かまくらみち」と書いてあります。

なんとなくわかるかなあ。今は洪水を防ぐために盛土になっているから橋の先の町の様子が写りませんでしたね。

広重の浮世絵の案内板もあります。

さあ、吉田大橋(旧大橋)を渡ると戸塚駅は目の前です。

とその前にお洒落な寺院があったので立ち寄りました。

善了寺です。西洋風なんですよね。Cafeも併設しており、また来てみたいと思う場所でした。

ここだったら、チロ太もテラス席は大丈夫そう。

スポーツジムのビルの信号を左に曲がると戸塚駅です。

チロ太はカバンの味をしめて最近は歩くのをよくさぼってますえー

戸塚駅に到着。さすが宿場町です。歴史の道の案内板がありました。

はい、ではチロ太君、地下鉄に乗ってお家に帰りましょうね。

お疲れ様でした。

(その1)日本橋〜青物横丁
(その2)青物横丁〜蒲田
(その3)蒲田〜川崎
(その4)川崎〜生麦~神奈川新町
(その5)神奈川新町~戸塚 1/2
(その6)戸塚~茅ヶ崎
(その7)茅ヶ崎~二宮
(その8)1/2 二宮~入生田
(その8)2/2 二宮~入生田