日本最初の開港場「下田」
コロナ禍において外出自粛が続きブログ停止しておりました。政府のGotoトラベルを利用してチロ太と開港都市「下田」に行って参りました。
最初に訪れたのは「龍宮窟」。上から見るとハートの形をしている。
下から見ると上と横に穴が空いており珍しい風景である。
隣にはサンドスキー場と下田湾の絶景。
サンドスキー場ではチロ太は大喜び!
場所を変えて下田の町へ向かいました。
「吉田松陰寓寄処」吉田松陰が密航を企てる前に療養した場所が現存しております!
下田へ行かれた際には必見です!!
吉田松陰が治療に使っていた温泉や
隠れの間を入ってみることが出来ますびっくりその内傷んでくれば入場に制限がかかることでしょう。
隠し階段を上ると隠れの間に入れます。ここで実際に吉田松陰は生活しておりました。
私は夢中で2時間近く滞在したと思います。その間、チロ太は庭に繋がれ待つはめに・・・・。
チロ太ごめん。
だってボランティアで説明されている方の話が面白くて・・・。
後に名刺交換させて頂きました。
地図を使って、当時の松陰の行動が想像出来るくらい細かい説明をして頂きました。
土地家屋調査士に地図付きの説明はもの凄くわかりやすいです。
そりゃもう感激でしたよ。ワタクシは。
名残惜しくも寓寄処をあとにし、港へ向かうことにしました。
下田と言ったらペリーですね!上陸の碑からペリーロードへ
ペリーロードは風情があって下田観光名所となっております。
おしゃれなお店も並んでおります。私はチロ太がいるので犬OKの和食処へ
伊豆はワンコにやさしい所が多い印象です。宿泊施設も多いですし、食事できるところも多い。
今回は、ワンコ専用個室に案内してもらい部屋で野放し状態のチロ太。
個室にはワンコ専用トイレの他にワンコ専用おむつも完備びっくり
ありがとうございます!
料理も美味しすぎて写真を撮り忘れました。笑
ペリーロード終点の了仙寺にやってきました。
日米和親条約は神奈川(横浜)にて締結されましたが、最初に寄港・補給目的で付録として下田条約によって開港され、了仙寺はペリー一行の応接所として使用されました。その後は米国人の休憩所となりました。
了仙寺から駅方面を行くと欠乏所跡地があります。
長崎などでは古くから貿易が盛んだったが、鎖国日本にとって貿易というやり取りは一般的ではなかったであろう。ここ欠乏所では、貿易は認めらていなかったが補給目的で売買がなされ、その売り上げの三割を税金として幕府は徴収していたようである。
吉田松陰の密航が失敗に終わり拘束された場所である。この後に江戸の伝馬町に送られます。
現在は市立中央公民館が建っております。背後には地方裁判所。この辺りが昔の下田の中心地だったのでしょうね。
松陰が下田に来た際に利用した「旅館岡村屋」跡地。
下田には多くの歴史上の偉人が訪れていますが、坂本龍馬もその一人。
ここ宝福寺は、坂本龍馬が脱藩浪人で勝海舟に弟子入りしたあとに、山内容堂に勝海舟が謁見して龍馬の脱藩の罪を許してもらうために下戸の海舟が容堂の勧める酒をためらわず飲み干した場所である。その後、龍馬は明治維新の立役者となるべく働きをしていきます。
ここに碑はありませんが、坂本龍馬が容堂、海舟会談の折に待機して吉報を待っていたと言われている「住吉楼」跡地です。
チロ太!道路に出たら危ない!?
そのまま駅には向かわず、港町下田市街を散策すると
下田市一丁目!?普通「下田市○○一丁目」じゃない?ここの住所を略式で書くと下田市1-20ってことだよね。町名もないなんて、ここが下田です!ってことなんですね!!
市街地には古い建物が多くあり、なまこ壁の建物が現存しております。中には明治の建物もあったかな。時間がなくゆっくり見れなかったが、またチロ太と来よう思いました。
ここは「船宿角谷」跡地である。板垣(乾)退助が宿泊していたが勝海舟が宿泊するため、板垣退助が追い出されたという逸話がある。昔はホント身分制度だったのですね。
ここからペリー上陸の碑まで戻り、場所を柿崎へ変えました。
柿崎には日本最初のアメリカ領事館跡地「玉泉寺」があります。
在日領事ハリスが滞在した場所です。
その後、日米修好通商条約締結後に神奈川(横浜)が開港されるまでハリスは滞在したようです。
玉泉寺から直ぐのところに吉田松陰が密航を企てた弁天島があります。
付近は現在公園となっており、下田湾が良く見えます。
吉田松陰と金子重輔の像にチロ太もお邪魔しま~す。。。
二人は日本の未来のために命をかけて、下田湾に停泊する黒船へ乗り込みました。
この行動・魂が勤王の志士へ受け継がれていき明治維新を成し遂げるとこになるのです。
駆け足だったけど、日も沈みましたので、下田研究の締めくくりを・・・。
下田を開港場とした理由は、江戸から離れた伊豆半島の先端の僻地にも関わらず、湾になっており船舶の停留には丁度良く、伊豆七島という目印になる島々もあることから、幕府と米国双方の条件を満たす場所だということが分かりました。滞在して安心出来る場所だということを感じました。
気候も良く素晴らしい場所です。皆さんもどうぞ~