最初にペリー(黒船)が来た町、浦賀(久里浜)

今回は、浦賀の建物表題登記の依頼を受けたので黒船来航の町浦賀へ行ってきました。実際にペリーが上陸したのは久里浜です。

私は神奈川の人間なので浦賀と久里浜の違いはわかっておりますが、知らない人は困惑しちゃいますよね。

京浜急行の浦賀駅と久里浜駅は同じ京浜急行でも路線が違いますので、違う町の認識があります。でも実は浦賀と久里浜は隣りです。

ではなぜ社会の教科書に久里浜ではなく浦賀にペリーが来航したとなっているのか?それは浦賀奉行所がペリー一行に対応したからです。

浦賀奉行所は高台にあり海を見て左が浦賀湾、右が久里浜湾となっております。

仕事できたわけですが、この日は生憎の雨!ドローンで屋根の写真を撮りたいのに雨降ってて撮影できません。午後から止む予報なので、待機ついでにペリーが上陸した久里浜に行ってきました。

久里浜港から対岸の千葉の金谷までカーフェリーが出ております。アクアラインが出来る前はよく使ったことがあります。アクアライン出来てからは1回かな。。。

また久里浜港は漁港でもあり船宿の五郎丸さんにはお世話になっておりました。

久里浜 五郎丸

なんと私があげた真鯛4.1kgがまだHPのアルバムにランクインしてます✌

 

それはさておき・・・久里浜湾を眺めて振り返るとペリー公園があります。

入館無料とは太っ腹!!なのに・・・実は私来るの初めてなんです(;^_^A

正面の石碑は明治34年に建てられたものです。途中太平洋戦争で倒されたりもしたそうですが、今は立派に建っております。

ペリー公園の中を進むとペリー記念館があります。

入口両脇には浦賀奉行の戸田伊豆守とペリーの銅像が迎えてくれます。

この両者の1953年の会談が開国の始まりでした。

ペリー記念館は2階建ての小さい建物ですが良く読み入れば3時間は時間を潰せます。(人によりますが・・・w)

模型にはペリーの東インド艦隊である旗艦のサスケハナ号をはじめ2隻の蒸気船と2隻の帆船が展示されています。

久里浜、浦賀の地形の大きさとミスマッチ(笑)、来航当時の印象はこのくらい大袈裟に大きくていいかも・・・

学芸員の方が親切に説明をしてくれます。

なぜ蒸気船2隻に帆船2隻が付いてこれたのか?

それは、航海にはほぼ蒸気を使っておらず、帆を使っていたからだそうです。

そしてなぜ浦賀に現れたのか・・・海図が浦賀までしかなかったからです。

東京湾近郊にお住まいの方は知っていると思いますが浦賀水道は東京湾の中でも狭く海の守りとしては最適な要塞です。

現在でも第一海保、第二海保、猿島と要塞が残っている場所です。(第三海保は船の往来の邪魔になるため壊した。)

ですから、外国船は東京湾奥までの海図を持っていなかったんです。

 

ペリーが代表して開国要求の目的は、ヨーロッパに後れをとったアメリカはアジア進出にむけて太平洋航路を確保したかったからです。

ようするに貿易のためですね。

ペリーの写真といえばこれですね。

 

下の絵はペリーが久里浜に上陸した時の様子です。

実はペリーの前にも黒船は何隻か日本にやってきています。

幕府は異国船打払令を1825年に出しております。ペリーが来航する28年前の事です。

黒船が来る度に砲撃をしたり、謁見拒否をしたりで幕府は鎖国を貫きました。

ですから、世間では黒船が突然現れたとう印象になっているかもしれませんが、ペリーが来航する前に度々黒船との摩擦はあったのです。

そんなやり取りがあって佐久間象山や吉田松陰は心をうたれていったのでしょう。

ペリーは幾たびも開国交渉に失敗している歴史を踏まえて、確固たる態度を貫き開国に成功しました。

来航翌年の1854年に再来航の約束をしたペリーは、この時に入念に江戸湾(東京湾)奥まで入り測量を行って、開国を確実なものへと準備を進めます。

ペリーは1854年に横浜で開国を成功させたわけですが、その4年後に63歳で亡くなりました。かなり早くに亡くなってるんですね。

 

下の絵は横浜で応接した時のものだそうです。

日本のもてなしに乗組員はどう思ったのでしょう。

来航した時に蒸気機関車の情報を提供してくれたようです。

この縁もあってか横浜~新橋の鉄道が開通しました。

ペリー記念館で参考書とはちみつを買って外に出たが雨は止む気配がない・・・(T^T)

仕方ないので浦賀の町へ向かいました。

ペリー歯科!?ペリーという地名は無いし、歯科医の名前も絶対ペリーさんじゃないでしょ~

でも自身の大事な歯科医院をこんなネーミングする歯医者さんってステキ!!と思いました。

看板の直ぐ近くに浦賀湾があります。浦賀湾は細長く外洋からの影響少なく船の停泊には最適の場所です。

ですから造船で栄えました。咸臨丸出航も小栗上野介の浦賀造船所もココです。

左が内陸へ右が外洋へ

 

ペリーとは関係ありませんが、関東大震災慰霊塔が近くにあります。ここ浦賀でも関東大震災では沢山の人が亡くっています。

関東大震災は双子地震と言われています。ここ浦賀も近い三浦半島中部と伊豆半島東部が震源だと言われております。

この双子地震についての解明の研究も私は行っています。それが神奈川縣下外國人遊歩規程測量標石発掘調査から繋がっていきます。(詳しくはブログを最初から見ると分かってくると思います。)

 

 

浦賀ドックを見ようと車を走らせたら、凄い雨!!いや~ひどかった。

(浦賀駅前の交差点)

この酷い雨が通り過ぎれば落ち着くかなと思って依頼地へ向かって雨が止むのを待ちました。

暫くして雨が止んだのでドローンの準備です。

今回はMavicMiniです。屋根の写真を撮るだけならこれで充分。欲を言えば防水機能がほしい・・・。

ドローンは場所を変えたらコンパスキャリブレーションはした方が良いです。

横浜から浦賀なのでほぼ影響ありませんが、コンパスキャリブレーションをする癖をつけておくと良いでしょう。

スタンバイ。少し風があるがテイクオフ!

無事に屋根の写真を撮ることが出来ました。

不動産登記法で言うスレートぶきです。

 

さて、帰ったらペリー記念館で買った参考書を読もうっと。

ではまた✋